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2014/01/13

困っている国や人に役立つ「本当の支援とは?」

Tweet ThisSend to Facebook | by 事務局
2014113日 北川泰弘)

先進国が開発途上国に対して行う政府開発援助(ODA)の質は、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)が定める計算式で出した数値「グラントエレメント(GE、贈与比率)」で評価される。GE25%以上がODAと認められる。日本は援助の金額では1991年から2000年まで世界のトップで、2006年は世界の3位であった。それにも関わらずGEによる評価では88.4%DAC加盟国の22位であった。15ケ国が既にGE100%を達成していたのに。またOECDによるODAの国際目標は国民総所得(GNI)の0.7%とされているが、日本の2009年のODAは国民総所得の0.18%に過ぎず、援助額が少ないと批判されている。

 

日本のGEが小さいのは、タイドの円借款によるインフラ建設が多いからである。日本は戦後の復興期に、世銀等から資金援助を受けた経験があるので、円借款は被援助国の自助努力を促し援助効果が大きいとして円借款を推進している。それにも関わらず、計算式を決めるDACの会議で外務省の課長クラスが懸命に努力しても、そのことは聞き入れられないで円借款を過小評価する計算式が決まってしまう。欧州諸国は事実上タイドであるに関わらず、文書上はアンタイドの援助が多いので援助の質が良いと見られ、日本の援助の質が悪いと見られている。オリンピック競技で日本人の体形に不利なスキーの長さが決まるのと同じである。

 

上記はDAC加盟の29ヶ国・機関の話であるが、近年は中国、インド、ブラジルなど新興国の台頭が著しく、新しい開発の担い手として新興国と民間の援助のシェアが増えつつあり、援助におけるDAC加盟諸国のシェアが落ち込みつつある。2015年には6割に落ちるという予測もある。2011年の民間資金の途上国への流入額がODA2.5倍に達したとの報告もある。これまで、ODA依存一辺倒だった多くの国々が貿易、海外直接投資を通じた持続的な経済成長を目指す国々へと変化しつつあるというのである。このような状況の下に、DACではODAの定義見直しの動きがあるようである。その際に「円借款」の評価が見直されることを望むものである。

 

以上は、インフラの整備等、大きな金額の援助の話であるが、今、困っている人に出会った時にどんな支援をするかの問題がある。援助団体組織を作らず、個人ベースで、地元、滋賀県彦根市のキリスト教団体の近江兄弟社グループの経済支援を受けて、タイ・カンボジア国境に「カンボジア子どもの家」を建て、難民支援を続ける栗本英世氏の話である。

 近江兄弟社グループの月刊誌「湖畔の声」に連載中の記事によると、
1991年、栗本さんはラオスの山奥の少数民族、ヤオ族の村に滞在した。親しくなった子どもたちに連れられて一軒の家に行くと、家族全員が病気で横になり震えている。薬を買って与えようと思ったが村長の了解を得ることが先決と、村長宅に行き事情を説明すると、村長は「何もしないで下さい。私たちの村は神様から与えられた百家族分の食糧が山で取れます。百家族を超える弱い者を助ける力はありません。若し、弱い者が生き残ったら、村の人口が増え、村全体が崩壊します。」と言ってその家族には薬を与えないように頼んだ。その結果その家族は全員死んだというのである。イエスは村はずれに死にかけたライ病患者がいると聞き、クスリを持たずに毎日村はずれに通い、病人の手を握って、死んで神の下に行く人の心の平安を祈ったという。これがイエスの愛の心で、村長の心に通ずるのであろう。

 

別の時、栗本さんはメオ族の村に滞在していた。三人の中国人がやってきて持参した贈り物を村人に配った。中国人は自分たちの贈り物を村人が喜んでいると思った。しばらくすると、村人の間では「モノ」の奪い合いが始まった。次の朝、何も知らない中国人三人は気分よく山を下りた。下山途中の三人を、二度と村に来て「モノ」に対する村人の執着を煽らないよう、村の若者数人が追いかけて殺してしまったという。栗本さんがボランティア団体を作らないで、個人で「カンボジア子どもの家」に対する支援をやっているのは、これらの話がベースになっているのではないだろうか?

 

本当に援助の成果を上げたのは、栗本さんがキリスト者となり、「カンボジア子どもの家」を通じてカンボジアの人々ためになる援助をしようと思い定める元となった、米国人ウイリアム・メレル・ヴォーリーズであると思い至った。

 ヴォーリースは英語教師として
1905年に来日し、近江商人の発祥地、近江八幡市を拠点に精力的に活動した人で、キリスト教の伝道の他に、建築家として多数の教会、学校の校舎を建てた。JCBLが使用したことのある早稲田奉支園のスコットホールもその一つである。彼は近江兄弟社グループの創始者である。ヴォーリーズがやったような援助が本当の援助であるのではなかろうか?



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