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2015/01/31

ベトナム・カンボジア旅行(その5)(北川)

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アンコール・トムと大巡回路の遺跡群

2015年1月21日(水)の午前はアンコール・トム、象のテラス、大巡回路の遺跡群、バンテアイ・クデイを見た。トムはクメール語で「大きい」という意味だそうで、一辺3?の城壁に囲まれ、その更に外周に外濠を巡らしているので、アンコール・ワットの外濠の大きさに驚いた者にとっては、二度目の驚きの大きさであった。

カンボジアの人はアンコール・トムを「壮大な都市国家」と訳し、城壁の中、中央のバイヨン寺院の周囲に数万人が住んでいたとするが、これらの住民の食器、食べた魚の骨、貝がらの堆積(貝塚)が発見されないのが不思議である。

先ず到着する南大門の外側に「乳海撹拌」の神々と阿修羅の綱引きを象徴する手摺が比較的良く保存されるのに出会う。南大門は象に乗った王様が通り抜けたと言われ、今は大型バスでも楽に通リ抜けられる大きさなのに驚かされる。門の上には観世音菩薩の四面像があり東西南北をにらんでいる。

東西南北の大門から中央に向けて1.5?行くと、バイヨン寺院がある。アンコール・ワットがお墓で西向きであるのに対しバイヨン寺院は東向きで、東に入口のテラスがある。回廊の壁の浮彫が有名で、当時の日常生活が判る事、中心塔を囲む沢山の塔に大きな観世音菩薩の四面像が総計196面あるので有名である。

バイヨン寺院の次にバプオン寺院に行った。長い参道が高く、支持する円柱がイランの影響で軽いふくらみをもっており、エンタシスと言うことをイランに勤務していたM.K.氏に説明した。バプオン寺院はこれまで工事中で入れなかったのに頂上まで観光客が登っていたが我々は割愛し、裏の寝仏けだけを見た。

象のテラスまでをアンコール・トムというそうで、象のテラスに王様が座り、前の広場をクメール軍が分列行進を行ったという私の説明は、元陸軍将校であるM.K.氏には良く理解出来たようであった。

象のテラスの後、アンコール・トムの北大門を出て大巡回路を回り、プリヤ・カン、ニヤック・ポアンを見学し、車上から東メボン、プレ・ループを眺めた。プリア・カンの前の食堂で昼食を取り、用を足したが、トイレは無いそうで、周囲のジャングルで用を足した。男性はそれでよいが、食堂で働く若い女性はどうするのであろうかと、要らない心配をした。

その後、バンテアイ・クデイとスラ・スラン池の畔の王様の水浴場を見た。バンテアイ・クデイの発掘調査、修復は上智大学が行った。発掘調査、修復を行うに当たり、上智大学はカンボジア人考古学者を育成した。フランスがカンボジア人を労務者としてしか使わなかったのと大きな対象であった。

バンテアイ・クデイは当初、仏教寺院であったが、為政者が代わり、ヒンズー教寺院となった。その折にとぐろを巻くナーガ(蛇)上に坐した沢山の仏像の首が切られ、地中に埋められた。その地中の仏像をカンボジア人考古学者が2000年‐2001年に発見したのである。しかも、為政者の命令にも関わらず、当時の労務者が仏像を丁寧に取り扱ったことが判った。この発見はカンボジア人に「俺たちもやればできる。」と自信を与えたことで大きな成果であった。

その夜はYon君に頼らず、自力でNight Marketという電光掲示板のある街路に歩いて行き、大勢の白人が入っているレストランに入り、「魚の酸っぱいスープ」という鍋と白米飯を取って食べた。M.K.氏も満足してくれた。


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