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2015/05/05

呉、江田島、広島、松山を旅行して?(北川)

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呉、江田島、広島、松山を旅行して

                  2015年4月30日 北川泰弘

 

2015329日から42日まで呉、江田島、広島、松山を旅行した。
 その思い出を綴る。

 

1.旅行の動機

2014年の初夏、海軍兵学校77期の上野健君が提案して、
分隊監事外山三郎氏の美代子未亡人、分隊付き教官だった村内必典氏夫妻、
生徒たち数人が桜が最も美しい来年、2015年の春に江田島の元海軍兵学校を
訪問することとなった。
上野君は70年前の終戦の年に私と同分隊だった人で、私の2期後輩の
77期生である。彼が江田島訪問を提案した時、参加希望者が6?7人もいた。
それが、老齢化を理由に一人減り、二人減りして、いざ申し込み確定の段階では
上野、北川の二人きりになってしまった。

旅行の経費を少しでも安く上げるには、新幹線とホテルを1ヵ月前に
予約しなければならない。430日前後に桜が見ごろだろうと予測し、
2月末に新幹線とホテルを予約してくれたのは上野君であった。
その予測は的中して、新横浜で新幹線に乗る前は雨が来る前で、大阪は雨で、
広島は雨が止み天気は快晴で暖かく、桜は満開で最高であった。
翌週の日本列島は、冬が逆戻りをして寒くお花見どころではなかった。
上野君の予測に感謝である。

2.列車の中で

新横浜駅で上野君に会い、朝の849分新横浜発。
940分頃に雪を被った富士山がきれいに見えた。
茶畑が見えたので静岡の近くだった。
そのうちに、浜名湖を通過した。戦前は浜松のウナギ弁当が美味しく、
駅弁を買うのが楽しみだったが「のぞみ」は停車してくれない。

姫路で車窓越しに遠く、有名な「しらさぎ城」が見えた。
3日前に6年ぶりに新装なって完成式典を行ったばかりである。
1331分に快晴の広島に着き、呉線に乗り換える。
呉線の窓からマツダ球場の広島カープ・ファンで満員の客席が見えた。
呉のホテルで見た新聞によると、当日の試合は対ヤクルトの第一戦で、
黒田博樹選手が米メジャーリーグのNYヤンキーズから広島カープに帰籍した
緒戦で、カープが初勝利を上げた試合であった。
黒田投手を迎えるカープ・ファンの熱狂ぶりを目の当たりに見たのだった。

 

3.329日午後、軍港都市、呉市観光

29日の昼過ぎに呉に着き、上野君の案内で軍港都市、呉市の観光に出た。
上野君は呉市を数回訪れて呉市に明るく能率的に観光ができた。
ホテルの前から「呉探訪バス」が出ているが乗り遅れたので、一般バスで
海上自衛隊呉基地に行き、輸送艦、おおすみ8900トンを見学した。
おおすみの甲板は航空母艦のようでヘリコプターが発着出来る。
見学したのは甲板の下の倉庫だけだがその広さに驚いた。
後尾にプロペラ推進の空気浮上型の輸送艇2隻を積んでいた。
輸送艦は集団自衛権が認められ、命令があれば、何時何処へでも出動するとの
熱気が感じられた。近くに潜水艦「くろしお」が数隻繋留されていた。
私たちの頃の潜水艦は細くスマートだったが、今の潜水艦はズングリして
クジラに似ている。
数年前に呉駅前の「やまとミュージアム」と「てつのくじら館」
(海上自衛隊史料館)を見た時に知ったことであるが、昔の潜水艦は廊下が
1本であったのに対し、今の潜水艦は廊下が2本で居住性が良い。
居住性を重んじて行動力を犠牲にしているのであろうか?
ズングリしていても行動力も優れているのであろうか?

帰路、「歴史の見える丘」から戦艦大和を建造したドックの跡地を遠望した。
同じ丘に記念碑が幾つかあり、子規の句碑があった。
子規が盟友、秋山実之の日本海海戦の出陣の見送りに呉に来た折の句碑かと思
ったが、友人の従軍記者を見送りに呉に来た時の俳句だった。
上野君が予約してくれた呉阪急ホテルは交通便利で快適だった。
宿泊客は春休みのためか子供連れの家族客が多かった。

写真1「おおすみ」と後ろに続く「空気浮上型輸送艇」


写真2 今の潜水艦が史料館「てつのくじら館」になっている。

 

 

 

 

 

 


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